

- WHAT IS
"JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOL"日本の伝統・技・アイデンティティの価値を捉えなおし、
新しいジャパンブランドのあり方を思い描く。
伝統に革新をもたらし、次代にジャパンブランドの価値を紡ぐ人が集い、実践し、学び合う場。
MISSION
日本各地に受け継がれている伝統、技、アイデンティティを世界とともに革新し、その価値を次世代につないでいく
VISION
3,000社のジャパン・ブランドを
世界に輩出する人材プラットフォームを創る
MESSAGE
全国から集まる若く志ある人材、
日本の価値を世界に発信し続け国内外で活躍するプロデューサー、
数百年の伝統を受け継ぐ老舗企業が集い、
日本の伝統・技・アイデンティティの価値を捉えなおし、
新しいジャパンブランドのあり方を思い描く。
伝統に革新をもたらす現場から、新たな豊かさを生み出しながら、
次の100年にその価値をつないでいく。
今、日本では、日本発のプロダクト・サービスがもつ魅力を発信・展開していくため、いくつもの行政機関や民間事業者が様々なチャレンジを行っています。素晴らしいチャレンジの背景には、その地域ならではの風土があり、歴史があり、技があります。そして、その現場には、それら伝統に革新をもたらし、価値を紡ぐ“人”がいます。
こうした取り組みを担う人材こそがジャパンブランドの未来を生み出すのだと信じています。だからこそ、私たちは、ジャパンブランドの新たな可能性を生み出す次なる人材が学び、実践する場を作ることで、その価値を継続させていきたいと考えました。
伝統に革新をもたらし、次代にその価値を紡ぐ人が集まり、実践し、学び合う場。
それがJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLです。
伝統は、未来を生み出す資源です。
日本の伝統芸能や工芸、先端技術やサービス。
歴史的文脈から受け継がれてきた世界にも引けをとらない誇れる価値を世界に発信し、
新たな豊かさを生み出しながら、次世代に継承するために。
私たちは、このプロジェクトを通して、ジャパンブランドプロデューサーとしてのメソドロジを学ぶ3日間の研修と1年間を通じて自ら能動的に実践しながら学び合える場・最新の取組み事例・知見を共有する場を提供しながら、皆さんとともに新たな豊かさを生み出していきます。
共同発起人/DIRECTOR
澤田哲也
ミテモ株式会社 代表取締役
僕は、この国のいたる地域に潜んでいる伝統を受け継いできた人、伝統を受け継ぎ何かを生み出している人、そしてこれから生み出そうとしている人が好きだ。正直に言えば、伝統的なモノを作ることができる人に憧れている。僕にはモノを作ることが出来ないからこそ。
僕の本家は常滑にある酒蔵なのだが、毎年「酒蔵開放」というイベントを2月に開催している。今年の開催で、30回目を迎えたようだ。このイベントは日頃自分の蔵の酒を愛飲してくれているお客様に蔵を開放し、製造工程をみていただくとともに様々な酒を振る舞うものだ。こういうイベントは全国の酒蔵でも行われており、さほど珍しいものではないのだが、採算度外視で振舞われる酒を目当てに、また数量限定のお弁当と様々なワークショップが人気ということもあり、毎年多くの人が訪れる。
なんてことを物知り顔で言いながらも、僕の家系は分家筋なこともあり、本家の酒蔵には子供の頃、今は亡き祖父に連れていってもらって以来足が遠のいていた。そんな僕にとって、千葉から常滑へ家族を連れて行く口実としても年に一度の酒蔵開放は都合が良かった。
かくして2013年2月、酒蔵開放の時に本家に立ち寄ることにした。さすがに事前に連絡くらいは入れようと思い、電話をしたときに珍しく緊張したことを今でも覚えている。電話をしたところ、会長(当時の当主)の奥さんが対応してくれ「当日はたくさんお客様がみえるから、バタバタして話もできないだろうし、よければ前日にきては?」と言ってくれたので、酒蔵開放の前日にうかがった。ちょうど20年ぶりのことだった。
イベント前日で準備に追われているだろう中、中を案内してくれたのは先先代の当主である政吉さんだった。90歳を過ぎた政吉さんは祖父の従兄弟にあたる。祖父に連れられて本家に訪れた時に、随分と祖父にそっくりな人がいるものだと驚いたこともあり、よく覚えていた。
政吉さんからは色々な話を聞かせてもらった。蔵の話、酒造りの話、祖父の話。そして、こんな話を聞かせてもらった。
「これは私が子供の頃にこの蔵を創業した代の人たちから聞かせてもらった話で、本当のことか作り話なのかは分からないけれど、嘉永元年(1848年)にこの酒蔵をひらいた当時はこの蔵のすぐそこの海岸に井戸を掘ったそうな。そしたら、水脈の節目にあたったのか、周辺の農家さんの井戸から水が枯れてしまった。こりゃいかん、ということですぐにその井戸を埋めて、今度は山の方に井戸を掘ってうちの蔵に水路を作ったんだけど、同時にその井戸から周辺の農家さんにまで水路をひいたんだ。そして毎年、水路のメンテナンスをして、地元の農家さんたちのお困りごとがあれば、出来うる限りのお手伝いをしてきた。そんなことを毎年繰り返しながら、うちの酒蔵は地域の人たちと一緒に生きながらえてきたんだよ。」
もちろん、水路のメンテナンスをするためのお金はもらっていないそうだ。「常日頃から支えてもらってるからね」と当たり前のように笑う政吉さんを見て、感嘆した。
そして迎えた酒蔵開放の当日。1万人にものぼる沢山のお客様がいらっしゃる中、自分たちの酒蔵の日本酒を振る舞うだけでなく、知多半島という発酵文化が盛んな地域性を活かしたお弁当や酒蔵を寺子屋に見立て知多半島の歴史、食文化が学べる講座で、お客様をおもてなしする様子を目の当たりにし、誇らしく、そして少し羨ましくも思ったのだ。
さて、そんな本家の酒蔵だが、日本酒の製法にも色々とこだわりがある。例えば、米を蒸す「こしき」。こしきとは、酒米を蒸すための大きな桶のようなものだ。元来こしきは木製だったが、現在、こしきは金属製のものを使用するのが一般的になっている。これは、金属製のこしきの方がメンテナンスがしやすく、また、作業者の労力も軽減できるから、というのが理由だ。ただし、米を蒸すことは、醪経過や粕歩合など、その後の工程に大きく影響を与える。特に良い麹を作るためにも蒸し方が大変重要だ。蒸し方を調整するという点において、木製のこしきは金属製のこしきよりも優れている。だからこそ、本家の酒蔵は伝統を守り、木製のこしきを使っている。
このように、合理化・効率化を追求するのであれば一見無駄にも思える工程を大切にしながら、良い酒を作るため、伝統を受け継いでいる。しかし、近い将来、こういったこだわりが維持できなくなるかもしれない。というのも、現在、木製のこしきを作ることができる職人は国内に一人か二人しかいなくなってしまっているから。金属のこしきが主流となってしまったがために、木製のこしきを新たに作ることはこの40年間の中で数えるほどしかなかった。結果的にその技術が伝承されることなく、担い手がほとんどいなくなってしまったというのだ。
「次にこしきを作り直すことになるのはおそらく30年後。でもその頃には、私たちも製造工程を変えなくてはならないかもしれないね」
という政吉さんの言葉が忘れられない。
「どうにか出来ないものなのだろうか?自分にできることは何もないのか?」という想いは、今も僕の胸の中にくすぶっている。
このくすぶりこそが、今回僕がJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLというプロジェクトを始めるに至った理由だ。
どうやら、伝統を受け継ぐとは、ただその担い手がいればいい、というものではないらしい。その伝統を下支えする技術や文化といった生態系を改めてデザインし直す必要がある。モノを作れるか、作れないか。そんな垣根を乗り越えて、この時代の変化を機として捉え、伝統を資源に革新を生み出せる人。そんな人が今、そしてこれからの日本のモノづくりの現場に必要なのだ。そんな人を育てたい。
とはいうものの1日や2日の研修で学んだところで「変化を機と捉え、伝統を資源とし、革新を生み出す」ための知識とスキルを身につけることなど到底できるはずがない。まして、成功者が並び立ち、その経験談を聞くだけのセミナーではせいぜい気分が高揚する程度の変化しか起こせない。
では、どうすれば、そんな人を生み出せるのか?
その答えは「実践し、学び合う場」を生み出すことにあるのではないかと思っている。
要となるのは、3つだ。
第一に、屋台骨となるメソドロジが学べる場でなければならない。
革新を生み出すというのは、「とにかく一歩踏み出せばいい」といったような生半可なものではない。むしろ、失敗する可能性の方がはるかに高い。ただ、その成功率を高める、あるいは失敗したとしてもそこからより多くのことを学び取り、次の挑戦の成功率を高めていくためのメソドロジがある。メソドロジもまた、先人たちが多くの試行錯誤を通して確立してきたものだ。その知見を受け継ぎ、学べる場を生み出すことが、モノづくりの現場に革新をもたらす挑戦を加速させていくはずだ。
第二に、実践を伴う場でなければならない。
変化を機と捉え、伝統を資源とし、革新を生み出すための具体的な方法論は実践を通してでなければ身につきようがない。だからこそ、プログラムを通して、時にチームで、時に個々人が、実際にジャパンブランドを生み出そうと実践するものでなければならない。
第三に、様々な知見やリソースに有機的につながり合える場でなければならない。
革新を生み出す過程は、困難の連続である。そして、国内外で活躍するプロデューサーは、その困難を乗り越えるための知見やリソースを手に入れるネットワーク(他者との関わり)を有している。このネットワークこそ、革新を生み出せるか否かを左右するだと言っても過言ではない。だからこそ、このプログラムは、メソドロジを学び、実践するだけでなく、第一線で活躍する諸先輩方やともに実践する仲間から、その取組内容、課題、ノウハウを学び合い、様々な知見やリソースとの有機的な繋がりが生まれるものでなくてはならない。
メソドロジを学ぶ。
実践を通して学ぶ。
モノづくりの現場で革新を生み出すために必要なネットワークを構築する。
この3つをもって、モノづくりの現場で革新を生み出せる人と関係性を生み出す。
これがJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLの全体像だ。
「僕自身は何かモノを作ることは出来ない。そんな僕にでも何かできることはないのか?」
このJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLというプロジェクトは、僕にとって、あの日以来、宿題として胸の中でくすぶり続けている問題への解を生み出す挑戦だ。
果たしてこのプログラムで本当に何かが生み出せるのか。正直、それはわからない。何が起こるのか、どんな化学反応が起きるのかも予想がつかない。なにせ、第1期だから。ただ、僕が知る限りにおいて最高のプロフェッショナルの皆さんとともに、僕らが人材育成のプロフェッショナルとして蓄積してきた知見を注ぎ込み、開校に臨む。
未踏の領域にこそ、踏み込み、新たな可能性を切り開きたいという方となら、きっとエネルギー溢れる面白い場を生み出せる。まだ顔もわからない、ジャパンブランドの未来を生み出す志ある方との出会いを今からとても楽しみにしています。
共同発起人
堀田卓哉
株式会社Culture Generation Japan 代表取締役
「What do you think of Japan?」(日本について、どう思う?)
このような問いかけを外国の方にすると、多くの方は肯定的なコメントをしてくれます。先日もイギリス人のビジネスパートナーに同じ問いかけをしたところ、「自己中心的な世の中で、日本文化だけが利他の精神をもっていて素晴らしいよね」という回答でした。
私は、その回答に正直なところ戸惑いました。
「今まで大切にされてきた色々な文化が無くなろうとしているなかで、日本人はまだ利他の精神を持ち続けていると胸を張って言えるのだろうか・・・」
と。
私は日本の伝統工芸や文化を海外市場に向けて発信し、販路開拓を支援する事業をメインに活動しています。日本には、素晴らしい文化や伝統が沢山あります。しかしながら、日本文化を支えてきた大切な“土壌”の1つである職人の多くは、販路減少、後継者不足に悩み、廃業の危機に瀕しています。職人の方に話を伺うと、「息子に家業を継がせたいと思うが、今の状態で家業を譲るのは可哀そう。」「この技術はもう俺で終わりだな」という声を聞く機会が多くあります。伝統工芸産業は、この20年間で、約1/3の産業規模となり、その下降カーブは加速していく一方です。
これから5年後に、どれだけの「本物」が残っているのか。
たとえば、日本の民族衣装である「着物」。今でも、多数の商品が中国やベトナムで縫製されています。「日本製の着物を残す」ことにどれだけの意味があるのか?と聞かれることもありますが、受け継がれてきた伝統や技術が失われることは、日本人のアイデンティティの一つが無くなってしまうように私は感じます。
いま世界中の人たちが、「現代の大量生産、大量消費のサイクル」から脱して、新しいライフスタイルを生み出していかないといけないと漠然と感じています。日本は、昔から新しいスタイルに変化していくことを受け入れつつも、今まで培ってきたことをきちんと伝承していくというマインドを持っています。「日本人としてどのような新しいライフスタイル・文化を発信していけるのか」、が世界に問われていることでもあり、期待されていることだと考えています。
次の世代の人たちが何を選択するのかで、未来の日本の方向性は決まってきます。だからこそ、今のタイミングで若い世代にバトンを渡せる土壌をつくっていきたいと考えJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOL の活動をスタートしました。
インターネット、携帯電話が、「なくても不自由がなかった時代」と、「あったから便利になった時代」。その両方をいちばん多感な時期に過ごしたのは、私たちの世代です。前の世代と次の世代を、本質的にわかりながらきちんとつないでいくことができるのは私たちだけだと思っています。だからこそ、私たちがきちんとジャパンブランドの未来を次の世代に渡したいと思っています。このプラットフォームを上手く活用してもらって、若い世代に活動をどんどん広げていくことが私たちの目指す姿です。
共同発起人
企画・監修
西堀耕太郎
株式会社日吉屋代表取締役/株式会社TCI研究所
JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLを始めたきっかけは、私が日吉屋で過去16年間ほどの間に、様々な商品開発や海外事業に取り組んで来た事や、そのノウハウを活かした伝統工芸・中小企業の新商品開発や主に海外展開支援で得た経験が元になっています。
2006年に日吉屋で販売を開始した、和傘の技術を使ったデザイン照明「古都里-KOTORI-」は販売から今年で12年目を迎えております。
国内外の多くのお客様のニーズにお応えする形で、新規事業に積極的に取り組んで来た事が、廃業の危機を乗り越え、今日の発展につながって来たのではないかと思います。これらの経験やノウハウを元に、2011年にTCI研究所を設立し、全国様々な海外プロジェクトを企画運営して参りましたが、支援先は累計百数十社を越えるようになりました。
支援先様の中には、廃業の危機から立ち直られた方や、売上を大きく伸ばされた企業、海外展開の足掛かりを築き更なる飛躍にトライされる企業等も生まれて来ており、成果が実感出来るようになっております。
海外パートナーとパリ市内に開設したアトリエ・ブランマントという拠点施設もオープンより2周年を迎え、販売とマーケティングにフル稼働しており、中小企業基盤整備機構の「ふるさとグローバルプロデューサー」OJT派遣先機関としても2年間にわたり、インターン研修を受け入れております。
そのような取り組みの一環として、前回大阪イノベーションハブ様と共催で、伝統の技を世界で売る方法~中小企業 「海外展開コーディネーター育成セミナー」~を実施し、多くの方にご参加頂きました。
また、2008年4月に今までの日吉屋での実体験や、新商品開発・販路開拓のエッセンスをまとめた書籍「伝統の技を世界で売る方法: ローカル企業のグローバル・ニッチ戦略(学芸出版社)」を上梓致しました。国内外に関わらず、商品開発や海外販路開拓又はこれらのプロデュースやコンサルティングに携わっておられる皆様にはきっと参考になると思います。
今回は、さらに初級~応用までを企業訪問も交えて、より幅広く実践的に学んで頂けるカリキュラムを組んでおります。
海外事業に取り組んでおられる企業経営者様・担当者様または、行政機関等で海外進出企業の振興・相談を担当されている方。コーディネーター、プロデューサーとして、将来海外プロジェクトを立ち上げたり、携わられる皆様方にはきっと有用な内容を盛り込みたいと思っております。ご興味のある方のご参加をお待ちしております。<著書>
「伝統の技を世界で売る方法: ローカル企業のグローバル・ニッチ戦略」(学芸出版社)
2018年4月25日発売
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